気が弱かったり自分に自信が無いからモラハラのターゲット(標的)になってしまったり、回避依存症の男性をパートナーに選んでしまうのかというと、そうでない場合もあります。
自分がありすぎても、そういった相手を選んでしまうことがあるのですね。
そして、相手の事が好き過ぎたり、自分の理想を叶えるために何とか相手を変えようとしますが上手く行きません。
そこでよく言われるのが“自分を変える”という事なのですが、悪いのは相手のほうなのに自分が変わらないといけないなんて納得できない!と思う方も少なくありません。
では、なぜそう思ってしまうのかー、一概には言えませんがいくつか思い当たることがあるのでご参考になれば幸いです。
モラハラや回避依存症に対して抱く感情は変化する
お互いに幸せな時を過ごした後にパートナーの本性を知ってしまうと、人というのはまず悲しみを感じ自分を責めはじめます。
しかし、その悲しみも怒りに変わっていくのですね。
「私は○○したかっただけなのに、相手がその思いに応えてくれない」
これは一重に相手を責める感情以外の何者でもありません。
その感情が怒りに達しているタイミングで、「自分を変えなければならない」という情報が飛び込んできてしまうと納得できずに、さらに怒りが湧いてきてしまう事も少なくないでしょう。
でも、その怒りも通り過ぎると冷静になってくるので、納得できない事を悲観したり、無理に自分に押し付ける必要はないかと思います。
納得できないのであれば、まずはそんな自分を許し認めること。
そして、今は納得できなくてもいつかは理解できる日が来るのだということ信じて待つのもいいでしょう。
特に「今すぐ〇〇しなければならない」という事はありません。
自分がそうしたくなった時にすればいい。
それだけの事なのかと思います。
自分を変えるというイメージを変える
「自分を変える」という事に対して次のようなイメージがあると、変えたくない!という気持ちが強まることがあります。
- 今のままの自分であってはイケナイ
- 自分を変えるということは難しく苦痛である
- ありのままの自分を愛して欲しいのに変えなければならないとしたらそれは本当の愛ではない
- 本来の自分を押し殺す必要がある
など、これらのマイナスのイメージがあると変えるということに抵抗を感じてしまいます。
でも、自分を変えると言うのは結果論であって
- 知らなかったことを知る
- 気づかなかったことに気づく
この2つを行った結果、自然に自分の在り方が変わっていくものなのです。
どちらかというと、
今無理をしている自分から無理をしない自分になる
といった方向性を持ち、
自分が今まで気づかなかった本来の自分を取り戻す作業になる
と捉えると良いでしょう。
でも、だって、どうせでは何も変わらない
ここまで読んで「でも」「だって」「どうせ」という単語が頭に浮かんできた方は要注意です。
でも、そんな事いわれたって難しいし
だって、私はきっと変われないだろうし
どうせ変わったって、相手が変わるなんてことはないだろうし・・
この「でも」「だって」「どうせ」は依存症の傾向が強い女性の代表的な口癖で、日頃の会話で頻繁に使っているため相手を怒らせることも少なくありません。
パートナーはもちろん、友人や会社の同僚など・・・心当たりはありませんか?
この場合、自分の口癖に気づくだけでも変わってくるものですよ^^
- 知らなかったことを知る。
- 気づかなかったことに気づく。
これが自分を変えるために必要な事で、その先には無理をしたり我慢をしたりしない本来の自分が待っているにだという事を知って欲しいなと思います。