恋愛依存症にモラハラに共依存!依存症だっていいんじゃない?

今朝の天気予報では西日本は今日も猛暑という事でしたが、午後から雨が降るせいか少し暑さが和らいでいます。

できればこのまま涼しくなって欲しいものですね。

 

さて、今回は依存症という言葉が嫌いー、という方と話をしたので私の思った事をまとめてみました。

 

その方がなぜ依存症という言葉を嫌っているかというと、依存症に対するイメージが苦しくて辛いものであるため、自分が依存症であると自覚することで依存症ではない人達までが生きづらくなってしまうからということでした。

これはとても理解できる事なのですが、実は依存症というのは特別なものではなく、人間である以上誰もが何かしら依存しているということ。

自分が依存症であることを認め許すことで、生きづらさから抜け出すことができる可能性があるのだということを知って欲しなと思います。

確かに自分が依存症だと知った時のショックは大きいよね

雑誌やメディアで依存症という言葉を目にする機会が増えましたね。

恋愛依存症にモラハラ、アルコール依存症やニュースで頻繁に見かけるパワハラなど全て依存症。

 

さらに情報収集が簡単に出来るようになった昨今では、自分やパートナーが依存症ではないかと思った時に容易にチェックすることができるようになりました。

 

そこで増えてきたのが、自分は依存症なのではないか?親やパートナーは依存症なのではないか?と悩む人達です。

 

依存症といっても、枝葉のように分かれ奥が深く、自分で認識することで軽減されるものから病理的なものまで様々で時には医師の診断が必要なこともありますが、

 

自分は依存症ではないかー?

と感じる人達には共通点があって、被害者的意識が強い傾向が多く見受けられます。

 

例えば・・・

  • 他者を攻撃するタイプ=自分は正しい・生きづらさを感じない
  • 他者に攻撃されるタイプ=自分が悪い・生きづらさを感じる

と、この2つにタイプを分けると分かりやすいですね。

 

自分は正しいと思っている人よりも、自分の在り方を反省し辛い思いをしてしまう他者に攻撃されるタイプのほうが自分を見つめる機会が多いため、被害者意識が強いほど自分は依存症ではないか?と思ってしまうのです。

 

そして被害者意識が強いと自分を責める傾向にあるので「依存症かも知れない自分」にとてもショックを受けます・・・。

 

逆に、他者を攻撃するタイプは自分は正しいと信じ込む意識が強いので、ほとんどの場合は自分は依存症だと認めず逆に正当化しようとします。

 

よって、被害者意識が強いほど自分が依存症なのではないかと思いやすく、またとてもショックを受けやすいです。

自分が依存症であることは肯定するべき?否定するべき?

賛否両論だとは思いますが、人は誰でも依存心というのは持ち合わせているものです。

ただ、依存する対象が人によって違うのでしょう。

 

一番最初に依存症という言葉が使われようになったのはアルコール依存症。

 

これは言わずとも知れたアルコールに対する依存ですが、その他にも

  • ギャンブル
  • 仕事(ワーカーホリック)
  • 車やスポーツなどの趣味
  • ネット(ゲームやSNS)
  • 恋愛
  • 他者(恋人配偶者)

などいろいろあります。

 

もちろん趣味などに依存することで毎日が充実して、ハリのある生活を送ることができるのなら改善する必要はありません。

この場合は肯定してもいいと思います。

「私は〇〇があるから、毎日が楽しい」というものを、わざわざ否定する必要はないのです。

 

但し、依存することによって生きづらさを感じたり日常生活に支障がある場合。

これは依存している自分をイケナイと否定するよりも、依存する先を変えていくのだと意識したほうがずっと楽になるのではないでしょうか。

 

否定するのではなく、変える。

 

これは恋愛依存症などの場合によく言われることですが、自分を愛する自己愛が大切だというのは依存の先を自分に変えるという事に繋がります。

  • 自分を幸せにする責任を自分で持つ。
  • 自分を幸せにできるのは自分だけだと認識する。
  • 自分で自分の存在価値を自分で決める。

対象を他者(彼氏や夫)から自分に変えるだけで随分と生き易くなることだってあるものです。

 

SNS依存なども、他に趣味を見つけるといいと言われているのも、依存の対象を趣味に変えるということに繋がっていますね。

 

人は誰もが依存症である。

だから否定する必要はないけど、生きづらいなら依存する対象を変えてみてはどうでしょうかー?

依存症という言葉に嫌悪感を感じる正体は?

「依存症という言葉が嫌いなんですー。」

実はコレ、カウンセラーであるある女性と話をしていた時に聞いた言葉で・・・ちょっと驚きました。

 

でも彼女がいうには、依存症ではない女性が「自分は依存症かも知れない」といってやってくる。

依存症という言葉が依存症を作り出してしまっている。

という事なのですね。

 

もちろんイメージとしては依存症というのは暗くてイケナイものなのですが、ある意味、依存症という言葉に彼女自身が反応しすぎているのかなとも感じました。

 

そう、自分が依存症かも知れないと感じているのは、そこにそう思わせる何かの理由があるはず。

そして現に依存症と言う言葉を通じて出会ったのですから、そこには出会うべくして出会った縁が存在するのです。

 

そこは素通りしてはいけない所ですね。

人はゆっくりとした時の流れの中で生きている

車や電車・飛行機など便利になればなるほど、時間は短縮され早く流れ去っているような気がしますね。

でも、ホントはもっとずっと大きくてゆっくりとした時間の流れの中で私たちは生きているのではないでしょうかー。

 

だから依存症がどうのこうのって、焦っても仕方がないのです。

 

依存症であっても、依存症でなくても、今の私たちの思考は生まれてからずっと培われて来たもの。

すぐに変えることなんてできないのです。

 

でも、常に考えることで変えていく事はできる。

時には、思考をまとめるために他の人と話をしてもいいですね。

 

そして、そのゆっくりとした時の流れの中で“依存症”というものを否定し続けるのはとても辛いことです。

 

だから、できるなら依存症であることを否定するよりも、その辛い思考の中で今まで頑張って来た自分を認めて褒めてあげて欲しい。

私はそう思います。

 

極端な依存というのは、時にはとても生きづらい思いをしてしまいます。

 

でもそんな中、頑張ってきたのですからそこは褒めるべきところ。

そして、今まで頑張ってくることができたのですから、これからも大丈夫!

 

そう考えてみて下さい。

 

その考えがふと腑に落ちる瞬間が、必ずやって来ますからー。