モラハラ夫に足りない共感能力について

共感能力について考えたことがありますか?

 

主に「共感能力を育てる」という言葉は、子育てにおいて使われることが多いですが、子育てに限らずコミュニケーションを行う上で最も重要な能力でもあります。

会話をする上で共感してもらえたと感じると、信頼感が生まれてきます。

 

もちろんモラハラ夫に関していえば、共感する能力が欠如しているため、暴言や無視などが平気でできるのですが、そもそもが今までの人生で誰かに共感してもらい信頼関係を深めた経験が乏しいともいえるのではないでしょうかー。

 

それなら、これから夫に共感するということを実感してもらい、その能力を育てていけばいい。

 

モラハラ対策の中の一つとして、取り入れていくといいのではないかと思いますので、今回は共感能力についてお伝えしたいと思います。

 

人との関わりで大切な共感能力とは?

共感するというのは、実際はどういう関わりのことなのでしょうか。実は、自分が他の誰かの話に「私は共感して聞いている」と感じている時、その定義は意外と曖昧である事が多いです。

 

でも、自分が誰かに話をした時に、頭から否定されるのではなく「その気持ち分かるわ~」と、同じように感じてもらえると、自分の気持ちを理解して貰えたという安心感がありますよね。

 

そしてコミュニケーション力が高いか低いかは、この共感能力が鍵を握っています。

 

コミュニケーション力が高い人は、共感の力が高い人が多い。という事です。

 

でも、もし今、自分の共感能力が低いと感じていても大丈夫!共感力は自分で伸ばしていくことが可能ですし、自分の共感力を上げることで相手の共感力にも影響が出てくる事でしょう。

 

子育ては自分育て。

モラハラ夫との出会いは、自分の成長を促すためにあった。

 

ピンチはチャンスとは、まさにこの事です。

 

もちろんモラハラ夫と一緒に生活することで、身に危険が及ぶ可能性がある、既に何らかの病気を発症しているなどの場合は、即逃げるべきです。

でも、何となくモラハラの回避はできるようになり、少し余裕があるー、という状態であるなら、少し立ち止まって考えてみるのも良いのではないかと思います。

 

モラハラ夫に足りないのは情動的共感?認知的共感?

共感能力はイメージ的では何となく分かっても、実際には曖昧であることが多いですが、大きく2つに分けると認識しやすいです。

 

それが情動的共感認知的共感になります。

 

情動的共感は

  • 幸せな気分の人と一緒にいると、幸せな気分になる。
  • 悲しくて泣いている人がいると、自分も悲しくなって泣きたくなってしまう。

そういった感じで、相手の思考や感情に対して繋がりを持ってしまう反応のことです。

 

ドラマや映画を観ていて、主人公と一緒に泣いてしまったというのがまさに情動的共感の表れです。

 

認知的共感は

  • 相手の立場に立って、その人が周囲の人たちからどう見えるか
  • 相手の立場に立つと、どのように受け入れて理解して、どのような感情が出てくるのか

といった形で、相手の考え方や感情を推測することです。

 

理想を言えば、やはり情動的共感と認知的共感がバランスよく備わっているのが一番良いのですが、環境や職業なども影響するので、やはりどちらかに偏っていることが多いです。

 

 

 

例えば、情動的共感が強く認知的共感が弱いと、困っている人を助けてあげたい!とか、悩んでいる人の相談に乗ってあげたい!と行動に移すけど、行動力が伴わない。といった事が起きてしまいます。

自分の助けてあげたい、という気持ちはあるのですが、相手がどのようにして欲しいか、相手が何をどう感じて悩んでいるのか、その理解ができないので、自分勝手な援助になりがちです。

 

逆に、情動的共感が弱く認知的共感が強いと、相手の立場に立った援助はできるのですが、相手の困った気持ちや悲しい気持ちに寄り添うことができません。

判断力には優れているけど、情がないと感じるため冷たい人・冷酷な人といった印象になりがちです。

 

情動的共感と認知的共感は環境によって変化する事もある

私の場合でいえば、モラハラ夫に出会わなければ、共感について考える機会はほとんどなかっただろうと思うほど、共感力というのは程度の差こそあっても、誰もが生まれつき持っている能力です。

 

そして共感力というのは、環境の影響をとても受けやすいです。

 

例えば、経済力が豊かな家に生まれ育ち、それが当たり前だと思う環境で育つと、通常の生活がどういったものなのか想像できないので、悩みを相談されても理解できない、共感できないのです。

もちろんその逆もまた然りで、通常の生活を送っている人からみると、経済力が豊かな人の悩みに共感することはとても難しくなってしまいます。

 

また相手の立場に立って物事を考える必要がない環境で育つと、認知的共感は育ちにくいとか・・・。

 

さらに環境という部分で言えば、仕事も関係してきます。

 

例えば、情動的共感が強く認知的共感が弱いくて、困っている人を助けてあげたい!とか、悩んでいる人の相談に乗ってあげたい!と行動に移すけど、行動力が伴わない人が医者だったら?弁護士だったら?

 

・・・考えただけでゾッとしてしまいますね。

 

特に情動的共感が強い人に向いている職業は、保育士・介護士・カウンセラーなどの接客業や、芸術家・職人などです。

逆に認知的共感が強い人に向いている職業は、医師や弁護士、警察官や消防士です。

 

共感は“わからない”が前提である

さて、ここまでお話して、共感するって難しい・・・と感じたらそれは共感能力が強いせいなのかも知れません。

 

というのも人は千差万別、考え方や感じ方が違うので、共感するということは簡単なようで実はとても難しいことがあります。

同じ親、同じ家で育った兄弟でも、物の捉え方や感じ方が全く違う理解しがたい存在なのに、どうして他人の感情を予測できるというのでしょうかー。

 

だから、共感するというのは「わからない」というのが大前提にあって、そこから歩み寄り、寄り添い、そして相手の気持ちを理解する気持ちが芽生え、それを相手が感じ取ることで共感は成立します。

残念なことに、自分の共感したいという気持ちだけでは共感は不成立。

 

そうやって考えると、モラハラ相手の共感は本当に難しい。

表だって歩み寄り、寄り添いたいと思って問いかけても「ウザい」「お前なんかに俺の気持ちが分かってたまるか!」という返事が返ってくるだけ。

さらには、「お前の考えていることは分かっているんだ!」とばかりに、見当違いなことを並べ立てて怒鳴り散らす・・・。

 

でも、その理由は簡単で、モラハラ夫にとって“共感する”というのは、幼い子供と同じで未知の世界だからではないでしょうか。

子供にとって未知の世界は当たり前で、好奇心によって切り開かれていきますが、大人であるモラハラ夫にとっては今まで感じたことのない不気味な世界。

「え?俺、どこに連れていかれるの?」という不安感で一杯のことでしょう。

 

ということで、最初の共感は小さな何気ない事から少しずつ。

それに素直な反応が返ってくるようになったら、日頃の態度から「子供の頃はどうだったの?」と聞き、共感する。

 

そうやって育てていくといいのではないでしょうか。

 

私も意識して共感してきたわけではありませんが、今思い返してみると、そんな感じで対応していたように思います。

一時は「俺が子供の頃はあーだった、こーだった」とうるさくて鬱陶しいなと思っていながら聞いていましたが、結局は彼の怒りの原点はそこだったのでしょうね。

今も面倒臭い男であることに変わりはありませんが、普段の会話の中で笑うようになりました。

 

結婚当初は、私が笑うどころか話をすることさえ封印した奴が・・・ほんと、面倒な男だなと思います(笑。

 

共感と同感・同情は別々のモノ

共感と、同感・同情は似ているようで違います。

 

共感の一般的なイメージとしては、相手と同じ気持ちになる事と捉えられていますが、「あなたの気持ち分かるよ」「私もそうだったよ~」というのは、共感ではなく同感・同情の部類に入ります。

 

気を付けなければならないのは、共感は信頼関係を深める一方で、同感や同情は相手との関係性によっては、反感を持たれることもあります。

 

 

 

同感や同情の主語は“私”。

私はあなたの気持ち分かるよ」「もそうだったよ~」と、判断基準が“私が”になっています。

 

共感は、相手の気持ちに寄り添い話を聞く事ですが、私と相手は違う人である事が大前提なので、相手と同じ意見でなくても良いのです。

 

そこで必要なのが心の境界線。

 

私は私、あなたはあなた。

「(私はあなたと同じ気持ちではないけれど、)あなたは〇〇な気持ちになったんだね」というのが境界線をきちんと示した上での“共感”であり、相手との信頼関係を築く上では有効的な方法でもあります。

 

一方、境界線が曖昧なひとがつい行ってしまいがちなのが同情。

 

同情は、相手の身に起きた悲しい出来事に対して、何とかしてあげたいと思ったりする事です。しかし、同情はあまり好まれないことが多いです。

 

なぜなら、同情という感情は大抵の場合、自己満足や勝手な思い込みであることが多く、自分のほうが恵まれていると優劣をつけたり、誰かに優しくすることで自分の価値を高めるという感情があるので、相手を不快にさせることが多いです。

 

共感は相手に優しい気持ちが生まれる

時には同感するという事も必要なこともありますが、信頼関係を深めるためには共感が効果的です。

そう、たった一人の愛する人に共感する事すらできない人は、今まで誰かに共感してもらった事がないため、共感するという脳の機能が未発達のままになっているのです。

 

もちろん、今までなかった感情を芽生えさせ、育てていくのですから時間は掛かります。

 

果たして、あなたにとってモラハラ夫は、そこまでする価値のある人でしょうかー?

 

まずは、その辺りを考えてから、もしくはその答えを出すための行動ならば、危険の可能性はほぼないでしょう。

 

但しー、

  • 絶対に私が夫を変えて見せる。
  • 私が何とかしてあげないと、夫はダメになる。
  • 私が見捨てたら夫は一人になってしまう。

という感情があるなら、共感すという作業自体が難しくなってしまいますよ。

 

共感というのは、まず自分と相手の心の間に境界線が必要なのですが、共依存、被害者体質であるということは、境界線が曖昧です。

自分の価値を相手に依存しているので、自分の価値を保つために相手を変えようとしているという事。

境界線が曖昧であるということは、境界線を超えて相手の心にズカズカと踏み込んでいるということです。

 

共感しているつもりだけど上手く行かない。

共感しても夫が変わらない。

 

という時は、専門カウンセラーに相談するなどして、客観的に自分を見つめ直す機会を作る必要があるのかも知れません。

どうか、一人で頑張り過ぎないようにして下さい。

よろしくお願いします。